Reversion







気が付くと、この頃、彼のことばかり考えている。


私を唯一負かした男。
私には出来ない発想を持つ彼。

私には…多分、もう出来ないだろう…心からの笑みを浮かべることの出来る彼。

そして、私を―悪夢から救った、彼。





彼を見る度に、他の者に感じるのとは違う感覚を抱く。
一言一句、一挙一動、逃すことなく見ている。
そして、彼が笑いかけていても、何故か苛立つ。
けっしてそれはこちらを馬鹿にした笑みなどではないのに、それでも。

しかし、彼はどんなに私が愛想なくしても、話かけるし、笑いかける。
―もし、声が届く範囲にいて、話しかけてこなかったら、私は不機嫌になるのだと思う。

まるで、相手にされていない、と思ってしまうから。
彼にとって相手にする価値のない人間であると、判断されるのが悔しいのだ。


彼は私にはないなにかを持っているのだと思う。
でなければこんなに彼が気になる筈がない。
それは、私には真似することが出来ないいろいろなもの。
どんなに重箱の隅をつつくように、彼の全てを覚えても、足りないなにか。




「ならば、彼を手に入れればいい」




自分が手に入れることが出来ないものなら、それを持つ彼を手に入れればいい。
これはある意味で発想の転換、逆転の発想。







「成歩堂。少し時間はあるだろうか?」

私の唐突な要求に、彼は驚いたようだったが、すぐに嬉しそうな顔になった。

「食事でも行く?」

「いや…それもいいが…話がある」


人前ではしにくい話だと、成歩堂は気づいたのか、まず食事に行って、それから成歩堂の家に行くというプランを提案してきた。
私の家よりもそちらのほうが都合はいいだろう。
話の展開によっては、成歩堂は家を出辛くなるだろうから。


成歩堂と何度か行った居酒屋で、少しアルコールも飲んで、いつもより早めに切り上げ、成歩堂のマンションへと向かう。




勝手しったる家とばかりにあがりこみ、いつものクッションの上に座る。
成歩堂がお茶を淹れてくれた。


真向かいに座って、成歩堂も心持ち真面目な顔になる。
私が沈黙しているからか、彼は何も言わずに、カップを抱えている。

「ねぇ」

待ちきれなかったのはやっぱり成歩堂だった。

「あのさ…よくない話?」

「よくない…かも知れないが…悪くないかも知れない」

成歩堂が口元を緩めた。

「なんだよ、それ」

「よくない話とはどういうものだ?」

成歩堂は息を呑んだ。
視線を落として、何の答えもないカップの中を見ている。

「それはねぇ…たとえばきみがまたどっかに行っちゃうとか」

「暫くはない。安心してくれたまえ」

他には、と問うと、驚くことに、彼は

「他にはいまのところ思いつかないや。きみは暫く、だけど消えないって言ってるし」

成歩堂はカップを傾ける。


「成歩堂、好きなひとはいるか?」


「ッ…吹いたよ!何だよ唐突に」


口から零した茶に私は眉をひそめる。
成歩堂は手の甲で拭い、ティッシュを手元に引き寄せる。

吹いてしまったのが恥ずかしかったのか、かなり顔が赤くなっている。



「・・・きみの話ってそれ?」


私は重々しく頷いた。


「…いるよ」


「そうか」


落胆が表情に出ていないことを祈った。
いつもと同じ、無愛想であるように。

ゆっくりと立ち上がる。


「邪魔をした」


「え??帰るの?」


狭いマンション、玄関まで行き着くまでもなく、成歩堂に手を引かれる。


「ていうか、その質問の意味、わかんないから」

「知りたいことは知れたからいい」

「誰か、とかは聞かないわけ?」

「聞いても仕方がない」


そう、仕方がないのだ。
成歩堂の好きな相手が誰だろうと、自分がその相手のようになれはしないことは一番よくわかっている。
私はどう足掻いても私自身以外にはなれない。
いい部分も悪い部分も、承知していても、それでも、他に似せることは出来ないのだ。


「仕方ないなら、どうして聞くんだ?」

その問いの返事には困った。

「そうだな…いなければいいと思ったんだ」

「いないって言ったら、他に質問があったわけ?」


あったとも。
けれど、それはもう、永遠に言わないでおく言葉。
彼の為に、何より、自分自身の為に。

傷つきたくないから―

あぁ、そうか―

私は成歩堂が好きだったのだ。

そこでようやく閃いた。
自身の挙動不審の理由がわかった。

知らず唇が笑みの形をつくる。


「御剣?」

「いなかったらな…何と言おうと思ったか聞きたいか?」

「あぁ。聞いてみたい」

「誰にも言わないか?」

「言わないよ」

「一度しか言わないぞ」

「わかったよ」

『私と付き合ってみないか?』


成歩堂が廊下に座り込んだ。

やはりショックだったのだろう。
だから聞くべきではなかったのに。


「大丈夫か?」

そのままにして帰るのもさすがにどうかと思い、とりあえず声をかける。


「全然、大丈夫じゃないよ!」


成歩堂が顔を上げる。
その視線に嫌悪はなくて、そこだけは救いだった。


「だろうな」

「きみね、どんなに自分が刺激的なこと言ってるかわかってる!?」

「多分な」

「御剣怜侍がだよ?検事局はじまって以来の天才が、こともあろうに…」

「―男に告白するとはな」

彼が言いにくいであろうことを私は続ける。

「まぁ、最初は私も同性に告白されることに嫌悪というか違和感というかそういうものがあったが、慣れてくると…」

「待った!」

まるで法廷のように、成歩堂が静止をかける。

「きみ、男に告白されてるの・・・やっぱり・・・」

成歩堂は大きな溜息をついた。

「きみには関係ないだろう。ではな」

「待った!!最後までぼくの話も聞けよ」

また腕をつかまれた。
今度は強い力で引かれ、体勢を崩す。
腕をつこうと伸ばしたが、その腕も成歩堂にとられ、一瞬のうちに座り込んだ彼に抱きこまれていた。

「逃げるなってば」

「逃げるわけではない…」

「ぼくはね、御剣が好きなんだ」

「・・・?」

「だから、ぼくの好きなひとはきみなんだよ!鈍感だな」

「な、何?」

その返答は全く想定していない。
好きなひとがいる、いない、という二パターンしか考えていなかった。

「天才検事さまは、案外抜けてるね。そういう答えがあるかもしれない可能性を考えなかった?」

そういわれると、反論のしようがない。
唇をぎゅっと噛み締める。

「御剣」

指が唇に触れ、噛んだ唇を離れさせようとして動く。

「御剣」

何度も、何十回も聞いた、成歩堂の声がやけに甘く聞こえる。

成歩堂の顔が近づいてきて、『キスされるのだな』と思ったので目を閉じた。

―今度の予想は外れなかった。


「泊まっていくでしょ」

成歩堂のキスは頬に落ちる。
髪に、額に、目の上に、頬に、そして唇に。
今の状態で触れられる全てのところにキスしようとしているのか、手の甲に、平に、指先まで。

「きみの全部にキスしたい」

私は了承した合図に、こちらから成歩堂の唇を求めた。
軽く触れ合わせて、軽く噛み付いて、唇を舐める。


「好きにしたまえ」


―ただし、もっと居心地のいい場所で


そういうと、成歩堂は目を丸くして、次にちょっと意味不明な笑いを浮かべた。


「了解」


成歩堂が立ち上がると同時に引き起こされた。



―彼の笑顔の意味を知るのはそんなに先ではなかった。



翌朝、この会合を休前日にして本当によかったと思った。

目覚めたとき、だるくて痛くて身じろぎするのも辛いのに、私を腕に抱いて幸せそうな表情を浮かべてまだ夢の狭間を漂っている成歩堂を見て、幾らこちらが告白した身になるとは言え、少々怒りを覚えたとしても仕方がないだろう。
頬をつねって起こしてやろうか、それともくすぐったほうが面白いだろうか。
そんなことを考えてみたが、結局、その幸福そうな表情を見ていて、和んでしまい、もう一度、私も目を閉じることにした。