Mood



ぼくはうまれてはじめて、失言を後悔した。

言わなきゃよかった、と思ったことはそりゃ何度もあるけど。
ひとつの言葉を、数日もひきずることなんてなかった。


もしも、アイツがぼくの言葉を真に受けて、またいなくなったら?
―まさか、アイツがぼくごときの言葉に惑わされるわけなんてない

今度こそ、本当に死んでしまったら?
―それ以上のひどい言葉も職業上いやというほど浴びているだろうし、それくらいで死ぬわけない

それに、今日だっていつもと変わらない様子だったじゃないか。


それでも、やっぱり、何処かで心配する自分がいる。
アイツのことは、本当に死んだと割り切ったのに。

死んだ者が生き返った―それだけじゃないか。


でも、次は生き返ることはけしてない。


ぼくの友人だった、御剣怜侍と逢うことはもう二度とない。
あの紅い高価そうなスーツをまとい、颯爽と歩く彼の姿を見ることは二度とない。

いつも仏頂面で、眉間に皺なんてよせてるけど、ほんの時折見せる微笑も、二度と見れない。

『いつまでたっても素人だな』
『お話にならない』

なんていう見下したような言葉も聞けない。


あぁ、そんな風に馬鹿にされてる言葉だっていいから、多分、ぼくはまた聞きたくなるんだ。









イトノコさんに頼み込んで、教えて貰った、御剣の住居。

『御剣にひどいことを言ったから、謝らないと』

その一心で、エントランスまで来たのはいいけれど、どうにもインターホンを押す勇気が出ない。
寒さが嫌いなぼくだけど、寒いと思う気持ちさえ感じてるゆとりがない。


その躊躇は、ぼくがインターホンを押すことでも、諦めて回れ右をすることでもなく、打ち切られることになる。


「成歩堂?」


背後から声をかけられる。

飛び上がるくらい驚いた。


「みみみ、御剣」

「どうした?」

ぼくのリアクションが余程おかしかったのか、御剣は微笑を浮かべた。
白い頬が寒さで少しだけ赤くなっていて、ぼくはそれを可愛いと思ってしまった。

―かわいい?御剣が?


「何をしている?ここに知り合いでも?」

「いやいやいや、きみに会いにきたんだよ」


御剣は眉間に皺をよせて、キーを叩いた。
入り口が開く。


「私はきみにここを教えた記憶はないが」


「ごめん」


ガラスの扉のむこうに入ってもいいのか、悪いのか、ぼくは躊躇う。


「何をしている。さっさとはいらないと閉まるぞ」


慌てて足を踏み入れる。背後でドアの閉まる音。

御剣はエレベーターを使わずに、階段にむかう。
ぼくは何も言わずにあとに従った。


「はいっていいの?」

「ここまで来て、何を言っている」

あからさまに溜息をつき、御剣は自宅のドアを開ける。
室内はすでにあたたかくて、ぼくはほっと力を抜いた。


視線でソファをすすめられ、ぼくはそこに座る。
暫くして、御剣は盆を片手に戻ってきた。


「ありがとう」


目の前にソーサーが置かれる。
甘い香りが漂う。


御剣は向いに座った。


「それで、私に用件はなんだろうか」


ぼくはカップを指で支えるじゃなしに、手で包み込む。
薄くて、白い、透明感あるそれは持ち主の分身のようにみえたから。

―御剣を可愛いと思うんだ、ぼくは

まだ、それがひっかかっていて、御剣にすぐに謝罪できなかったことに気づく。

「あ、えっと、謝ろうとおもって」


「何を?」

不思議そうに、御剣は首をかしげた。

こういう仕草、法廷ではけっして見れない。
知らなくても知っているふり、例えばそんなことも技のひとつ。


「きみにひどいことを言ったから…」

もう一度、そのひどい言葉を繰り返す気にはなれない。
視線を落としたぼくの様子で、御剣はどの言葉か思い至ったのだろう。


「気に病む必要はない。私はきみに謗られても仕方のないことをしたのだろう。…きみの期待というものがあって、それを裏切ることをしたのならば」


「ごめん。本当に」

「構わない。本心ではないのだろう?そう思っていいのだな?」

「勿論だよ」


よかった、と御剣は笑った。
花がほころぶ一瞬と同じだけ短い時間だったけど、綺麗に笑った。



「あと。もうひとつ」

「何かね」



「ぼくはきみが好きなんだ」

「そんなこと知っている」


「きみが私のことをどうでもいいと思っているなら、謝罪に来たりはしまい。違うか?」


ぼくは頭を抱え込んだ。
多分、御剣の『好き』ってのとぼくの『好き』ってのは違うな。


「あの…ぼくは御剣を…その」


どう言えば通じるのかな。


「抱きたいって意味で好きなんだけど」

するっと口から出てきた言葉に、我ながら顔が赤くなった。
何てことを言ってしまったんだろう!
他にいいようはなかったのか。

案の定、御剣も一瞬、目を見開いた。

でも、さすが、敏腕検事、すぐに感情を隠してしまった。
ぼくもそういう表情でこられると、つい法廷のときみたいに、焦りとか何やらと押し隠してしまう。



「きみは私に欲情しているということか?」

「欲情しているというか…きみを失いたくないと思う」

「ならば抱く必要はないだろう。私はもう消えたりはしない、と誓えばいいのではないか」

「あのね、恋愛ってわかる?ぼくはきみが他の誰かのものになるのも嫌なんだよ」

「私は誰のものでもない!」

駄目だ。告白してるのに、御剣を沸騰させる方向にむかってる気がする。
ぼくは立ち上がって、御剣の側にまわる。
御剣の目の前にかがんで、焦点があうかあわないかという距離まで近づく。
御剣は強い視線でこちらを睨んできた。
薄い色の瞳、長い睫、すっと通った鼻筋、御剣って近くで見ても本当に綺麗だと思った。

もう少し、距離を縮めて。
御剣が瞬きした瞬間に、唇を奪った。

柔らかくて、あたたかかった。


「ッ…」


御剣は顔を真っ赤にして、ぼくを射殺すくらいの勢いで睨む。

「何をする」

「キスだよ。きみが好きだから」

「…本気なのだな」

「疑ってたの?本気だよ。きみを抱きたいっていうのも」


御剣は視線を落とした。
白い腕が上がり、ぼくの袖を掴んだ。

「信じてもいいのだな?」

何を、かは判らない。
でも、全てを信じて貰いたかったから、頷いた。

「勿論だよ。ぼくはきみに会うために弁護士になった」





寝室に移動して、ベッドに腰掛ける。
御剣の手を握って、深呼吸した。

「脱がせてもいい?」

返事はなく、御剣の指がぼくのネクタイにかかる。
このタイプの結びには慣れてない手つきが可愛いと思った。
少し苦労している間に、ぼくも彼のタイをとき、ベストとシャツの釦を外してしまった。

「ふッ」

吸い寄せられるような白い素肌に、手を触れると、御剣が吐息を漏らした。

「御剣の肌、綺麗だよね」

よくみせてね、と言いながら彼の身体を抱き締める。
抱き締めながら、上を手際よく脱がせてしまった。
そして、ゆっくりと上半身をベッドに沈める。
御剣のベッドはかなり広くて、ふかふかで、気持ちいい。
ぼくの下で、御剣がもぞもぞと居心地悪そうに動くが、ぼくをはねのけようとはしなかった。

御剣の手はぼくのシャツの釦をまだ外しきれてない。
首筋をぺろっと舐めたら、また声を上げた。

「御剣、案外不器用だよね」

揶揄する口調で言うと、

「きみが邪魔をするからだッ…」

甘くかすれた声で、そんな文句を言ってきた。

うんうん、と聞き流しながら、ぼくは御剣のベルトを外し、スラックスと下着をひき下ろす。
さすがに御剣が止めようとしたが、下半身を折り曲げて、足首を持ち上げられた体勢ではぼくのほうが有利だ。

「きみも脱げッ」

自分で脱がせることは諦めたのか、抱き締めようとしたら御剣に胸を押された。
はいはい、と適当に返事をしつつ、ぼくも衣服を脱ぐ。

全裸になって、抱き締めると、いっそう御剣の素肌の気持ちよさが感じ取れた。
滑らかで、吸い付くようなきめ細かい膚。
すけるように白くて、仄暗い室内でもぼんやりと光をはなっているように見える。

いたるところを撫でまわして、ぼくは溜息をつく。
御剣も敏感に反応して、甘い声を上げる。

「気持ちいい」

「…私もだ」


御剣の腕がぼくの背にまわり、ぼくはそれだけで泣きたくなった。
本当に、この存在が消えてしまわなくてよかった。


「もう、死ぬなんて言わないでね」

御剣が頷く気配がした。

ぼくはほっとして、御剣をぎゅっときつく抱き締めた。




緊張が解けて、ぼくは少し睡魔を感じた。
あたたかいし、御剣の身体は抱き心地はいいし、御剣はいい匂いがするし。
天国にいるみたいだなぁと思った。

御剣の柔らかな髪に指を絡めて、更に幸福感でいっぱいになる。






―そして、そのままぼくは眠ってしまった。




翌朝、昨日の可愛さは夢だったのか、と思うくらい、いつもと変わらぬ仏頂面の御剣に起こされた。
もう既に彼は一寸の隙もなくスーツを着用済み。



いや、いつも以上に、御剣の御機嫌は悪そうだ。
何か、事件でも入ったのかな…




ぼんやりとした頭で、『まだ時間あるから』と御剣を見送って・・・



「あぁぁぁ!もしかして!っていうか、ぼくはなんてことを」

すっごいチャンスを逃したんじゃないか?
でもって、御剣は怒ってるのか?


・・・怒ってるとしたら可愛いな・・・


ぼくはまたこのうえなくにやけた顔で、さっきまで御剣が眠っていた枕に顔を埋めた。